甲斐国高梨(甲府市あるいは甲斐市?)生まれ。
享保7年(1722)3月15日-天明4年(1784)4月26日 63歳
儒学者、篆刻(てんこく)家、画家。池大雅、韓天寿とともに「三岳道者」の一人。
日本における印章制度を確立して「印聖」と称される。
医師の子に生まれ一旦は医師をめざすも断念、文雅の道を志して京都に出て儒学を学ぶ。
池大雅ら文人墨客と交わる。
池大雅、韓天寿とは終生の友であり、三人は連れ立って富士山・白山・立山を登山。この旅を記念して三人それぞれが「三岳道者」を号したという。
詩文書画に優れた才を示したほか、有職故実に通じ、説文や音韻の学にも造詣が深かったが、ことに篆刻に長じた。当時流行の低俗な明朝風を退け、深く秦漢の古印を手本に、格調高い作風を打ち出し日本における印章制度を確立した。このため皆川淇園や柴野栗山らは印章学の大成者と見做して「印聖」と讚えた。
芙蓉は、「京焼の幕末三名人・江戸三大陶工」として有名な青木木米の師としても知られる。芙蓉宅付近に住んでいた木米は、少年期に書画や篆刻などを学んだ。
天明4年3月、常陸宍戸藩の松平頼救の招聘に応じて、江戸に赴くが、到着後ほどない4月26日(24日とも)、63歳で没した。
高芙蓉墓所(天徳寺・港区虎ノ門3)
京都・一心院にも墓碑(京都市東山区林下町457)
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