宮城の偉人

工藤平助(くどう へいすけ)・宮城の偉人

仙台藩ゆかりの偉人

享保19年(1734)-寛政12年(1801)12月10日

仙台藩の藩医で経世思想家。

紀州藩医の子として生まれたが、仙台藩医工藤家の養嗣子となり江戸詰めとなる。医術を養父に学び、儒学を服部南郭(はっとりなんかく)、青木昆陽(こんよう)に師事。

前野良沢や大槻玄沢ら蘭学者と親交があり、海外事情を学んだ。
1783(天明3)年、老中田沼意次に『赤蝦夷風説考』を献上。
蝦夷地開発とロシアとの交易により、ロシアの南下の状況に対応すべきことを主張した。
この献策に基づき幕府の蝦夷地調査が行われ、蝦夷地開発計画が立案されたが、田沼意次の失脚で中止。

赤蝦夷風説考 (教育社新書―原本現代訳)

林子平、本多利明ら江戸期海防論の先駆となり、子平は平助より蘭学の知識、国防論の刺激を受け、『海国兵談』を著した際に序文を書く。

『独考』を著した女性思想家の只野真葛(ただのまくず)は長女。
只野真葛 (人物叢書)
只野真葛 (人物叢書)

工藤平助墓所(心行寺・東京都江東区深川2)

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