佐賀市生まれ。
1832(天保3)年4月23日-1899(明治33)年9月26日 68歳
佐賀七賢人。
文部卿として近代的な学制を制定。明治の六大教育家の一人。
佐賀藩士の子。藩校弘道館に学び、勤王派として藩政改革を推進。新政府に出仕し、徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などをつとめる。東京奠都(てんと)にも尽力。明治4年(1871)初代・文部卿となり、学制を制定。明治6年(1873)参議兼司法卿。萩の乱、神風連の乱で、反乱士族の処分にあたる。明治13年(1880)元老院議長。また民法編纂総裁として法典編纂に関わる。明治17年(1884)伯爵。明治21年(1888)から枢密顧問官を兼任し、翌年枢密院議長となる。第1次山県内閣の司法相、第1次松方内閣の文相を歴任。
大木喬任生誕地(佐賀市・大木公園)
大木喬任墓所 東京・青山霊園
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