出羽国雄勝郡郡山村(秋田県雄勝郡羽後町)生まれ。
1769(明和6)年-1850(嘉永3)年 81歳
経済学者、農学者、国学者、人文科学から自然科学まで幅の広い思想家。
『近世の三大農学者』のひとり。
秋田藩士の家に生まれる。佐藤家は、代々、医学・農政学を家学として伝え、信淵も幼少時からこれを学んだ。父と13歳より諸国を巡歴、16歳で父に死別。
その後、江戸に出て、宇田川玄随、木村泰蔵らに学ぶ。
その知識修得欲はすさまじいばかりに貪欲で、農学・経済学をはじめ、天文・測量・気象・鉱山・兵学・医学・政治・教育・地理・歴史などあらゆる学問分野を研究対象とした。
信淵は、儒学と蘭学をベースに、とくに農学に深い関心を示し、自然科学的方法論で、測量・気候・土性・水利・耕種の5つのジャンルを研究した。
1815年には、平田篤胤に入門。同年、吉川源十郎にも入門し吉川神道を学ぶ。1832年には渡辺崋山に入門している。
諸国を回遊し、著述に努め、おもな著書に『農政本論』、『経済要録』、『宇内混同秘策』、『草木六部耕種法』、『天柱記』、『復古法』、『防海策』など。
しばらくは、佐藤信淵の名は埋もれていたが、明治の農業史家・織田完之(おだかんし)によって発掘され、それ以来注目されるようになった。
『農政本論』:1829年刊。9巻。農政の沿革・農事を詳述し、富国の五方策を説く。国家社会主義の傾向。
『経済要録』:1827年刊。15巻。信淵の経世論、産業振興・国家専売・貿易の展開を主張した。
『宇内混同秘策』:1823年刊。中国東北から中国、中国から世界全土を征服すべしと論じた。
佐藤信淵生誕地(秋田県雄勝郡羽後町)
佐藤信淵墓所・松応寺(東京都杉並区高円寺南2-29)
「近世の三大農学者」
江戸時代の農業研究家で、農業の基礎をつくったとされる三人。宮崎安貞(みやざき やすさだ)・広島の偉人
1623(元和9)年-1697(元禄10年7月23日)大蔵 永常(おおくら ながつね)・大分の偉人
1768(明和5)年-1860(安政7)年?佐藤信淵(さとう のぶひろ)・秋田の偉人
1769(明和6)年-1850(嘉永3)年 81歳
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