尾藤二洲(びとう・じしゅう)・愛媛の偉人
伊予国宇摩郡川之江村(愛媛県四国中央市川之江町)生まれ。
延享4年(1747)10月8日-文化10年(1813)12月14日
儒学者。昌平黌教授。
柴野栗山、岡田寒泉とともに寛政三博士(寛政の三助)のひとり。
廻船業者の子に生れる。
5歳のとき、右足を負傷し、その後、足が不自由になる。
大坂に出て苦学の末、私塾を開き朱子学の普及に尽くす。
寛政3年(1791)幕府に用いられて、昌平黌(昌平坂学問所)の教授となり約20年間にわたって、朱子学を再び盛んにすることに努力した。
『素餐録』『正学指掌』『称謂私言』などの著書がある。
尾藤二洲生誕地碑(愛媛県四国中央市川之江町)
尾藤二洲銅像(かわのえ高原ふるさと館・愛媛県四国中央市川之江町2217-83)
愛媛人物博物館(愛媛県生涯学習センター・愛媛県松山市上野町甲650)
尾藤二洲墓所(大塚先儒墓所・東京都文京区大塚5-39)
寛政三博士(寛政の三助)
江戸寛政年間の昌平坂学問所の儒官。
柴野栗山(しばの りつざん)・香川の偉人
岡田寒泉(おかだ かんせん)・江戸生まれ
尾藤二洲(びとう じしゅう)・愛媛の偉人岡田寒泉にかわり、古賀精里(こが せいり)・佐賀の偉人を加える場合もある。
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