亀井茲矩(かめい・これのり)・鳥取/島根の偉人
出雲国(島根県)生まれ。
弘治3年(1557)-慶長17年(1612)1月26日
戦国武将。通称は新十郎。
因幡鹿野藩初代藩主。
山中鹿介に属し、亀井姓を与えられ主家尼子氏再興を図った。
鹿介の死後、豊臣秀吉に仕え、丹波・因幡攻略に従い、各地に転戦した。
天正9年(1581)因幡国鹿野城(現鳥取市)城主となり、石見銀山を採掘した。
関ヶ原の合戦以後は、三万八千石の大名となった。
1607年から、三度にわたり朱印船を行ったことで知られる。
1609年、シャム(現タイ)に渡った家臣に、将軍家康からの鉄砲二十挺をシャム王に贈らせ、水牛角、くじゃく、などを持ち帰らせた。
槍術の達人であり“槍の新十郎”の異名を持つ。
鹿野城跡公園(鳥取県鳥取市鹿野町鹿野1517)
亀井茲矩墓所(鳥取県鳥取市気高町)
亀井茲矩墓所(黒谷光明寺・京都府京都市左京区黒谷町121)
亀井家墓所(島根県鹿足郡津和野町後田)
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