越後国巻(新潟県新潟市西蒲区巻)生まれ。
安永6年(1777)-天保14年(1843)4月7日 67歳
江戸時代後期の書家。
貫名海屋、市河米庵とともに「幕末三筆」と称される。
幼少の頃から新潟の中心部で育ち、善導寺の住職に書の手ほどきを受け、19歳で江戸へ行き書家の亀田鵬斎(ほうさい)に書と詩を学んだ。
31歳のとき書塾「蕭遠堂」を開いた。菱湖は、篆書・隷書・楷書・行書・草書・かな・飛白の7書体を巧妙に書くことができた。平明で端麗な書風は千字文などにより、世に広く書の手本として用いられた。
門下生は1万人を超えたと伝えられ、「菱湖流」と呼ばれた流派は幕末から明治にかけての書道界に大きな影響を与え、一門を形成した。
将棋の駒においては、駒銘の1つとして知られ、タイトル戦などで使用される高級な駒などに用いられている。
門弟に菱湖四天王(萩原秋巌・中沢雪城・大竹蒋塘・生方鼎斎)や巻鴎洲などがある。
鴎洲は菱湖の子で、優れた才能を持ちながら病弱のため早世した。
鴎洲没後、鴎洲の門人・巻菱潭(りょうたん)が養子となり跡をついだ。
巻菱湖記念時代館(新潟県新潟市東区河渡庚296-33)
巻菱湖墓所(谷中天王寺・東京都台東区谷中7-14-8)
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