正宗白鳥(まさむね・はくちょう)・岡山の偉人
岡山県和気郡伊里村穂浪村(岡山県備前市穂浪)生まれ。
明治12年(1879)3月3日-昭和37年(1962)10月28日 83歳
小説家、劇作家、評論家。本名、正宗忠夫。
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)
若くしてキリスト教の影響を受け、内村鑑三に傾倒した。
明治29年(1896)に上京し、東京専門学校の英語専修科に入学。
自然主義に触れ、初め文芸時評を書いたが、虚無的、厭世的な青年を主人公とした「何処へ」(明治41)を発表、自然主義作家として認められた。
その後、「泥人形」(明治44)、「入江のほとり」(大正4)などを発表、その特質は、虚無や冷笑を基調とした否定的な人生観にあり、ニヒリスト白鳥とよばれた。
晩年まで、旺盛な批評精神を持ち続け、「自然主義盛衰死」(昭和23)など多くの評論を書いた。
正宗白鳥生家跡記念碑(岡山県備前市穂浪)
正宗文庫(岡山県備前市穂浪)
正宗白鳥墓所(多磨霊園・東京都府中市多磨町)
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