鹿児島市池之上町生まれ。
1847年(弘化4年7月13日)-1889(明治22)年2月12日 43歳
明治の政治家、外交官。初代の文部大臣。
教育家、『明治の六大教育家』。
薩摩藩士の五男として生まれた。藩校造士館、藩洋学校開成所に学ぶ。
1865(慶応元)年、藩の留学生としてイギリスに留学し、その後アメリカにも留学する。このとき、キリスト教に深い関心を示した。
明治維新後に帰国すると新政府において徴士、外国官権判事、公議所議長心得、制度寮副総裁心得などを歴任。
一時離職し郷里に戻るが、再び出仕。
米国在勤後の1873(明治6)年、福沢諭吉、西周、西村茂樹らと共に明六社を設立するなど、欧米思想の啓蒙に尽力。
1875(明治8)年、東京銀座尾張町に私塾商法講習所(一橋大学の前身)を開設。以後駐清公使、外務大輔、駐英公使、参事院議官兼文部省御用掛等を歴任。
1885(明治18)年、第一次伊藤博文内閣の下で文部大臣に就任し、学校制度の確立に尽力した。
しかし1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布式典の当日、国粋主義者・西野文太郎により暗殺。享年43。
森有礼生誕地(鹿児島市池之上町・若宮公園横)
森有礼墓所・青山霊園(港区南青山)
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