岐阜県大野郡高山町(岐阜県高山市)生まれ。
明治30年(1897)11月25日-昭和43年(1968)3月19日 72歳
「生かされた命」
両手両足の切断という重い障害を抱えながらも、人生をたくましく生き抜いた女性。
明治30年、飛騨高山の畳屋の娘として生まれる。
3歳のとき突発性脱疽症に侵され、両手両足を切断。
母からは口だけを使って裁縫を習い、一人前の和裁ができるように上達。
運命は自ら開くという信念で、1916年「ダルマ娘」の見せ物芸人になることを決意、家族と別れ高山を去る。
久子は芸人として働き始めた時「恩恵にすがって生きれば甘えから抜け出せない。一人で生きていかなければ」と決意し、生涯を通じて国による障害者の制度による保障を受けることは無かった。
その後20余年の見せ物生活の間、3度の結婚(病没、離婚)をし、2子を生み、1934年中村敏雄氏と4度目の結婚。
1937年ヘレン・ケラー女史の来日時に東京で面会(その後の来日にも会見)。
ヘレン・ケラー女史は「私より不幸な、そして偉大な人」と久子に言葉をおくった。
1942年帰郷し、その後は求めに応じて、死の直前まで日本各地を講演、逆境を克服した体験を語り障害者に生きる勇気を与えた。
「手足なき 身にしあれど 生かさるる 今のいのちは 尊かりけり」
「どんなところにも必ず行かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」
「苦しいことがあろうとも 悲しいことがあろうとも 生きているのが有難い」
中村久子の生涯―四肢切断の一生 (Chichi‐select)
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