武野紹鴎(たけの・じょうおう)・奈良/大阪の偉人
大和国吉野郡に生まれる。
文亀2年(1502)-弘治1年(1555)閏10月29日
室町時代の茶匠。堺の豪商。
千利休の師匠で、堺流茶道の開祖。
村田珠光、千利休とともに「茶道の三祖」のひとり。
武野氏は、若狭国の守護武田氏の後裔で、父信久は諸国を流浪したのち堺に住み、姓を武野として、武具作製の皮革商を営んで財をなしたという。
紹鴎は、歌道・連歌に堪能で、三条西実隆から古典や和歌を学び、村田珠光系の藤田宗理らに茶の湯を学んだ。
実隆の『詠歌大概』(藤原定歌)の序の講義を聞いて茶道の極意を悟ったという。
和歌の心を茶の心に生かし、唐様趣味を和様に転化するなどの工夫を行った。
31歳で剃髪して茶の湯に専念、珠光の四畳半茶の湯をさらに徹底し、わび茶の根本を深め、二畳・三畳の小間の茶室、竹の茶入や茶杓(ちゃしゃく)などを創案し、それまでの茶の湯の姿を大きく変化させた。
千利休、今井宗久、津田宗及、松永久秀ら門人も多い。
大黒庵武野紹鴎邸址(京都府京都市中京区室町通四条上る東側)
武野紹鴎屋敷跡(大阪府堺市堺区中之町東)
武野紹鴎像(堺市博物館・大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2・大仙公園内)
武野紹鴎墓所(龍興山臨江寺・大阪府堺市堺区南半町東2)
武野紹鴎供養塔(龍興山南宗寺・大阪府堺市堺区南旅籠町東3)
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