紀州和歌山(和歌山市)生まれ。
1684(貞享元年10月21日)-1751(寛延4年6月20日) 68歳
江戸幕府第八代将軍。
「江戸幕府中興の祖」とよばれる。
米相場の安定に苦心したことから『米将軍』ともいわれる。
徳川御三家の紀州藩・藩祖徳川頼宣の孫で、二代藩主徳川光貞の四男として生まれる(徳川家康の曾孫に当たる)。
二人の兄の死後、第五代紀州藩主となり、藩財政の再建に努め、七代将軍家継の死により徳川将軍家の血筋が途絶えると、江戸幕府八代将軍へと就任し、自ら質素倹約、新田の開発、公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革を行う。
破綻しかけていた幕府財政を再建し、江戸幕府中興の祖と呼ばれるが、米相場の安定に苦心したことから米将軍ともいわれる。
徳川吉宗生誕地碑(和歌山市吹上2)
和歌山城(和歌山市一番丁3)
吉宗子供の頃の屋敷跡・伝法屋敷跡・碑(和歌山市湊紺屋町)
時鐘堂(和歌山市吹上1-4-19)
徳川吉宗黒印状(和歌山市立博物館)
徳川吉宗墓所・寛永寺(台東区上野)
関連書籍
この記事へのコメントはありません。