筑紫磐井(つくしのいわい)・古代の偉人、福岡の偉人
?-528年11月
6世紀前半の筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)。
『日本書紀』によれば、磐井は、継体21年(527)、近江毛野(おうみのけの)の率いる新羅征討軍の任那派遣阻止を画策した新羅に懐柔され、反乱を起こしたとされる。しかし、翌年11月、物部麁鹿火(もののべのあらかび)と戦い、御井郡で敗死(磐井の乱)。
子の葛子は、糟屋(現・福岡県糟屋郡)の屯倉をヤマト政権に献上したため死罪を免れた。
北部九州最大の古墳である岩戸山古墳(福岡県八女市)は、磐井の墓とされている。
岩戸山古墳(福岡県八女市)
墳丘長約135メートル、後円部径約60メートル、前方部幅約90メートル。
北部九州地方最大の前方後円墳で、古墳の東北隅には別区とよばれる一辺約43メートルの方形の地区がある。6世紀後半に北部九州を統治していた筑紫磐井の墓であり、墳丘や別区からは多量の石製品、埴輪が出土。(写真:八女市)岩戸山歴史資料館(福岡県八女市吉田1396-1)
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