若槻礼次郎(わかつき・れいじろう)・島根の偉人
出雲国松江(島根県松江市雑賀町)生まれ。
慶応2年(1866)2月5日-昭和24年(1949)11月20日 84歳
政治家。
第25代・28代内閣総理大臣。
首相在職期間:
(第25代)大正15年(1926)1月30日(59歳)-昭和2年(1927)4月20日(446日)
(第28代)昭和6年(1931)4月14日(65歳)-昭和6年(1931)12月13日(244日)
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)
父は松江藩士。
松江一中を中退し、代用教員をつとめていたが、上京し司法省法学校を経て、帝国大学に入学。
明治25年(1892)帝国大学法科大学を卒業(首席)し、大蔵省に出仕。
桂太郎の知己を得て、主税局長、大蔵事務次官を歴任し、明治44年(1911)貴族院議員となる。
第3次桂内閣、第2次大隈内閣で大蔵大臣をつとめる。
大正13年(1924)加藤高明内閣の内務大臣に就任し、普通選挙法・治安維持法を成立させた。
大正15年(1926)に第25代内閣総理大臣となる。
ロンドン海軍軍縮会議首席全権を経て、昭和6年(1931)再び第28代内閣総理大臣に就任。
日米開戦に反対し、開戦後は和平派の立場をとった。
若槻礼次郎生誕地碑(島根県松江市雑賀町)
若槻礼次郎胸像(島根県庁前・島根県松江市殿町1)
伊東わかつき別邸(静岡県伊東市湯田町6-30)
若槻礼次郎墓所(染井霊園・東京都豊島区駒込5-5-1)
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)
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