左から三人目が吉益亮子
1854(安政元)年-1886(明治19)年 33歳
「日本初女子留学五少女」のひとり。
明治の女子留学生―最初に海を渡った五人の少女 (平凡社新書)
秋田県典事吉益正雄の子として生まれる。
岩倉使節団とともに渡米、5人の中で最年長の15歳であった。
津田梅子とともにワシントン郊外ジョージ・タウンのチャールズ・ランメン方にあずけられる。のち1軒を借りて5人で居住。1872年10月、目を患ったため病気の上田梯子とともに帰国。滞米1年足らずであった。
その後、築地の海岸女学校で教師をし、1886年6月京橋に女子英学校教授所を設立したが。その秋コレラで死亡。
(近現代女性人名事典・ドメス出版)
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