有間皇子(ありまのみこ)・古代の偉人
舒明天皇12年(640)-斉明天皇4年(658)11月11日 18歳
孝徳天皇の皇子。
飛鳥時代を代表する歌人としても名高い。
父天皇の死後、中大兄皇子と不和になり、狂気を装ったが、蘇我赤兄にそそのかされ謀反を企てるが、捕らえられた。
行幸先の紀州牟婁(むろ)温泉(白浜)まで連行され、中大兄皇子の尋問を受けたのち、帰途、藤白坂(和歌山県海南市藤白)で絞首刑に処された。
『万葉集』に載る歌2首は護送の途中詠んだもので絶唱である。
「磐代(いはしろ)の 浜松が枝を 引き結び 真幸(まさき)くあらば 亦(また)かへり見む(巻2・141)」
自分はこのような身の上で磐代まで来たが、浜松の枝を結んで幸を祈る。
願いかなって無事であることができたら、再びこの結び松を見よう。
「家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕(くさまくら) 旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る(巻2、142)」
我が家にいれば器に盛る飯を、旅先なので、椎の葉の盛って食べるのだ。
有間皇子之碑(西牟婁郡白浜町白良ケ丘)
有間皇子結松記念碑(和歌山県日高郡みなべ町西岩代)
藤白神社・有間皇子神社(和歌山県海南市藤白466)
毎年11月には、有間皇子まつりが開催される。有間皇子墓所 (和歌山県海南市藤白)
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