蜂須賀茂韶(はちすか もちあき)・徳島の偉人
江戸生まれ。
弘化3年(1846)8月8日-大正7年(1918)2月10日 73歳
徳島藩主蜂須賀斉裕の次男。
徳島藩最後の第15代藩主。
(国立国会図書館・近代日本人の肖像より)
世子時代は朝命に応じて国事に奔走した。
22歳で徳島藩主を継承し、新政府の議定として刑法事務局輔や民部官知事に就任。
明治2年(1869)版籍奉還にともない徳島藩知事。
明治5年(1872)イギリスに留学。
帰国後は、大蔵省関税局長、参事院議官などをつとめた。
明治15年(1882)特命全権公使としてフランスに駐在し、ユーロッパ各国の公使を兼ねた。
帰国後は、元老院議官、東京府知事、貴族院議長、文部大臣、枢密顧問官などのを歴任した。
草創期の日本産業の育成にも大きな功績があった。
華族資産の有効活用を主張して北海道で農場を経営するなど、大名華族の中でも得意な存在であった。
また和歌、俳句を嗜み、歌集『うしほのおと』がある。
雨竜町史跡公園(北海道雨竜郡雨竜町)
蜂須賀茂韶墓所(万年山墓所・徳島県徳島市佐古山町)
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