契沖(けいちゅう)・兵庫/大阪の偉人
摂津国尼崎(兵庫県尼崎市)生まれ
寛永17年(1640年)-元禄14年(1701) 62歳
真言宗の僧で、国学者。
国学の草創期を担った。
賀茂真淵、本居宣長とともに「三哲」のひとり。
下河辺長流(しもこうべ・ちょうりゅう)と交流し、古典研究を志す。
延宝7年(1679)妙法寺の住持となり、病の長流に代わって『万葉代匠記(まんようだいしょうき)』を執筆する。
これは、『万葉集』全歌の注釈で、その文献学的・実証的な注釈態度により、万葉集研究史上画期的な業績といわれる。
元禄3年(1690)、円珠庵に隠棲し、学問に専念した。
著書に、注釈書『勢語臆断(せいごおくだん)』『古今余材抄(こきんよざいしょう)』、国語学書『和字正濫抄(わじしょうらんしょう)』など。
契沖生誕の比定地(兵庫県尼崎市北城内27)
契沖墓所・円珠庵跡(大阪府大阪市天王寺区空清町4-2)
契沖供養塔(妙法寺・大阪府大阪市東成区大今里4)
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