菊池記念館(宮崎県児湯郡西米良村村所2-2)
電話 0983-36-1111
時間 8:30~16:30
休館 月曜日
無料
菊池武夫(きくち・たけお)
明治8年(1875)7月23日-昭和30年(1955)12月1日 81歳
南朝の忠臣菊池武時の子孫。
鹿児島県永吉村(現鹿児島市)に生まれ、12歳で上京、学習院中等科、陸軍幼年学校、同士官学校を経て同大学卒。日露戦争では中隊長として出征。
昭和6年(1931)、貴族院議員となり「天皇機関説」「足利尊氏論」などで美濃部達吉、商工相中島久万吉らと渡り合ったのは有名です。
その後、昭和16年(1941)年には東京興亜専門学校(現亜細亜大学)の校長に就任、熊本県隈府町(現菊池市)の町長も兼任しました。
戦後の昭和22年(1947)に帰村、それからは村民に贈られた村所の別荘(現菊池記念館)で悠々自適の生活を送りました。
祖父に当たる最後の米良領主則忠公が廃藩置県の際、東西米良村、三財村寒川(現西都市)などの領内の山林を全村民に与えたので、終生“米良の殿様”として村民の尊敬を一身に集めました。(西米良村HPより)
こちらもクリックおねがいします!!
↓
にほんブログ村
この記事へのコメントはありません。