小野妹子(おのの いもこ)・古代の偉人
近江国滋賀郡小野村(大津市)の豪族で、春日氏の一族小野氏の出身。
生没年不詳。
聖徳太子が隋と国交するにあたり、遣隋使として607~608、608~609の二回隋に渡る。
「日出ズル処ノ天子、書ヲ日没スル処ノ天子に致ス。恙無キヤ」との国書を煬帝に届けた。
翌年隋使裴世清(はいせいせい)を連れて帰朝したが、煬帝からの国書は百済人に奪い取られたと称して献上しなかった。そのため群臣議して妹子の責任を問い、流刑に処すべきだとしたが、推古天皇は妹子の書を失う罪を許した。
二回目の遣隋使からの帰朝後(609年)の消息は不明である。
小野妹子公園(唐臼山古墳・滋賀県大津市水明1)
小野妹子の墓と伝わる古墳。小野妹子墓所(科長神社・大阪府南河内郡太子町山田3778)
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