シドッチ・江戸の偉人/鹿児島ゆかりの偉人
1668 - 1715
「西洋紀聞」の宣教師
キリシタン禁制下の日本に潜入した最後の宣教師。
イタリアのシチリア島に生まれる。
ローマ教皇クレメンス11世の命を受け、1708年(宝永5)10月和服帯刀の姿で屋久(やく)島に単身上陸、ただちに捕らえられて長崎に送られた。
ついで翌年秋に江戸に送られて小石川のキリシタン屋敷に監禁されたまま、正徳5年10月そこで病死した。
彼の取調べにあたった新井白石はその尋問をもとに、世界地理の書『采覧異言』や『西洋紀聞』(取調べのようす、世界地理、キリスト教の3部からなる。)を書いている。
シドッチは、日本にキリスト教を布教するという彼本来の目的は果たすことはできなかったが、鎖国下の日本に国際世界についての視野を開かせる一つの契機となった。
シドッチの所持品であったカルロ・ドルチの「親指の聖母像」といわれる図像は、現在重要文化財として上野の国立博物館に収められている。
シドッチ上陸記念碑(鹿児島県熊毛郡屋久島町)
言うまでもなく『西洋紀聞』は、潜入して来た宣教師ヨワン・バティスタ・シローテことシドチを白石が尋問した書である。この書のなかで白石は、彼を評して次のように言っている。
「其教法を説くに至ては、一言の道にちかき所もあらず、智愚たちまち地を易(か)へて、二人の言を聞くに似たり。ここに知りぬ、彼方の学のごとき、ただ其形と器とに精しき事を、所謂形而下なるもののみを知りて、形而上なるものは、いまだにあづかり聞かず」と。
白石はこの一人間から「二人の言」を聞く思いがした。そして一方の言が賢者の言葉なら、もう一方の言は愚者の言葉であった。白石が賢者の言葉として聞いたのはシドチの人文学上の知識と世界情勢に関する広範な認識であり、彼はこれを高く評価している。そして彼が愚者の言葉として聞いたものは、シドチがそれを伝えるためにわざわざ日本に潜入して来たキリシタンの教えであった。・・・・・
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